大徳寺の開山さま:その1
今日は午前中、子供と外で遊ぼうと思っていたら、朝から雨。午後からは上がったけど、子供は友達の家へ遊びに行ってしまった。。。まあ、やることがたくさんあったので良いのですが。。この3連休は天気悪そうですね。
境内の弁天池周りも、秋の景色らしくなってきました。
さて、自坊である当寺(滋賀県大徳寺)の歴史について、このブログに書いておこうと思います。ちょうど自分の勉強にもなりますし、ね。
幸い、平成7年に当寺の遠諱と授戒会を記念して作られた竹貫元勝著『長福山大徳禅寺誌』がありますので、そこからピックアップして、なるべく分かりやすくまとめたいと思います。
大徳寺は、現在臨済宗妙心寺派ですが、もともとは臨済宗東福寺派でした。開創は応安2年(1369)と、かなり歴史があります。開山は、東福寺の雙峰宗源(1263~1335)の法嗣(法を継いだ弟子)の大方源用。大方源用は、近江の人で佐々木氏の一族の出身であり、19歳になって出家し、京都東福寺の雙峰宗源のもとで坐禅をして修行しました。ちなみに雙峰宗源は、東福寺開山の円爾弁円(聖一国師)の法嗣。住持した寺は筑前の崇福寺、京都の東福寺(12世)、南禅寺(7世)などで、五山僧の中でも屈指の禅僧であったと言われております。
大方源用は、雙峰宗源の指導により悟りをひらいてその方を嗣ぎました。応安2年、56歳で近江の大徳寺(当寺)を開創した後は、京都の十刹普門寺(46世)に住持となり、永徳3年(1383)、京都五山の東福寺(50世)に住持します。大方源用を東福寺住持に推挙したのは、近江の守護大名、六角満高(佐々木亀寿)です。
ふう、今日はここまでにします。
境内の弁天池周りも、秋の景色らしくなってきました。
さて、自坊である当寺(滋賀県大徳寺)の歴史について、このブログに書いておこうと思います。ちょうど自分の勉強にもなりますし、ね。
幸い、平成7年に当寺の遠諱と授戒会を記念して作られた竹貫元勝著『長福山大徳禅寺誌』がありますので、そこからピックアップして、なるべく分かりやすくまとめたいと思います。
大徳寺は、現在臨済宗妙心寺派ですが、もともとは臨済宗東福寺派でした。開創は応安2年(1369)と、かなり歴史があります。開山は、東福寺の雙峰宗源(1263~1335)の法嗣(法を継いだ弟子)の大方源用。大方源用は、近江の人で佐々木氏の一族の出身であり、19歳になって出家し、京都東福寺の雙峰宗源のもとで坐禅をして修行しました。ちなみに雙峰宗源は、東福寺開山の円爾弁円(聖一国師)の法嗣。住持した寺は筑前の崇福寺、京都の東福寺(12世)、南禅寺(7世)などで、五山僧の中でも屈指の禅僧であったと言われております。
大方源用は、雙峰宗源の指導により悟りをひらいてその方を嗣ぎました。応安2年、56歳で近江の大徳寺(当寺)を開創した後は、京都の十刹普門寺(46世)に住持となり、永徳3年(1383)、京都五山の東福寺(50世)に住持します。大方源用を東福寺住持に推挙したのは、近江の守護大名、六角満高(佐々木亀寿)です。
ふう、今日はここまでにします。
週刊 古寺を巡る 38 東福寺 京都五山文化の一角をになう巨刹(小学館ウイークリーブック)
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- 出版社/メーカー:
- 発売日: 2007
- メディア: 雑誌
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