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ブログ移転のお知らせ
長年愛用しておりました、このSo-netブログから、アメブロへ移ることにしました。
新しいブログのアドレスは、下記の通りです。以後の更新はすべてアメブロでおこないます。
http://ameblo.jp/daitoku-ji/
更新はしませんが、So-netブログのアカウントも当面、このまま置いておくつもりです。またいつの日か、このアカウントを再起動する日が来るかもしれませんし。So-netブログさん、長い間お世話になりました。本当にありがとうございました。
これからは、アメブロでの、「ゆうの日単」を宜しくお願い致します。
新しいブログのアドレスは、下記の通りです。以後の更新はすべてアメブロでおこないます。
http://ameblo.jp/daitoku-ji/
更新はしませんが、So-netブログのアカウントも当面、このまま置いておくつもりです。またいつの日か、このアカウントを再起動する日が来るかもしれませんし。So-netブログさん、長い間お世話になりました。本当にありがとうございました。
これからは、アメブロでの、「ゆうの日単」を宜しくお願い致します。
気の緩みか。。。
今日は好天に恵まれて、とても暖かいですね。ただ先日の急な冷え込みで、喉をやられてしまいまして、かなりのガラガラ声です。ああ。。。お経を唱えなければならない僧侶にとって、喉はとても大切です。気持ちも緩んでいたのかもしれません。
今朝は、9時から近所のお地蔵様のお参り。情けない声で、ご迷惑をおかけしました。。。
早く喉を治したいので、これから病院へ行ってきます。
今朝は、9時から近所のお地蔵様のお参り。情けない声で、ご迷惑をおかけしました。。。
早く喉を治したいので、これから病院へ行ってきます。
大徳寺人形供養年間総供養を厳修
昨日11月15日、東近江市能登川町大徳寺では、人形供養年間総供養法要を厳修しました。今年もたくさんのお人形が集まりました。
大徳寺では日頃から(年中毎日)人形供養を受け付けているのですが、この法要に合わせて持って来られる方が多いですね。
例年と違い、今年は午前10時と午後2時の2回に分けて開催しました。この試みは成功だったと思いますので、来年もこの形式を続けたいと思います。
実は2回の法要の間に、檀家様の葬儀も入りましたので、とても忙しい一日となりました。普段は暇なんですけどね(^_^;)。今日は朝から本堂の後片付けです。
今朝の朝刊では、いくつかの新聞が記事を載せてくださりました。新聞社の皆様、記者の皆様、誠にありがとうございます。
朝日新聞 滋賀)思い出の人形に別れ
http://www.asahi.com/articles/ASGCH51M0GCHPTJB004.html
産経新聞 「大切にする心忘れず」滋賀・大徳寺で人形供養
http://www.sankei.com/region/news/141116/rgn1411160028-n1.html
大徳寺では日頃から(年中毎日)人形供養を受け付けているのですが、この法要に合わせて持って来られる方が多いですね。
例年と違い、今年は午前10時と午後2時の2回に分けて開催しました。この試みは成功だったと思いますので、来年もこの形式を続けたいと思います。
実は2回の法要の間に、檀家様の葬儀も入りましたので、とても忙しい一日となりました。普段は暇なんですけどね(^_^;)。今日は朝から本堂の後片付けです。
今朝の朝刊では、いくつかの新聞が記事を載せてくださりました。新聞社の皆様、記者の皆様、誠にありがとうございます。
朝日新聞 滋賀)思い出の人形に別れ
http://www.asahi.com/articles/ASGCH51M0GCHPTJB004.html
産経新聞 「大切にする心忘れず」滋賀・大徳寺で人形供養
http://www.sankei.com/region/news/141116/rgn1411160028-n1.html
タグ:人形供養
大徳寺の開山さま:その3
午前中、子供と少しだけジョギング。気候が肌寒くなってきました。こんな日の運動は、体が温まって気持ちいいです。
それでは、午後から時間が空いたので、その3を書く。
東福寺において修行をしていた大方源用は、当時五山文学僧としても名をなす雙峰宗源をはじめ、諸文芸僧について漢詩文の研鑽につとめることができたと思われます。大徳寺には『大方和尚法語』というものが遺されているのですが、これは元文4年(1739)に大方源用の法語が一冊に纏められたものです。大方源用350年遠諱に合わせて、バラバラであった資料を集めて作成されました。そこには70余の法語が遺されております。
そして、五山文芸上で特筆されるべきことは、景南英文を法嗣にもったことです。景南英文は、長文の散文を得意とし、将軍足利義教に大切にされ、多くの作品を現代に残す文芸僧です。
しかし、残念ながら景南英文と大徳寺の関わりは何もありません。大徳寺に作品が所蔵されているということもありません。。。誠に残念ながら。。うう。。。
さて、大方源用の塔所は、2か所あります。一つは近江大徳寺、もう一つが京都東福寺塔頭の大仙庵。大徳寺と大仙庵は、大方源用の開創寺でもあります。
この大仙庵は、天明8年(1788)11月の東福寺の末寺帳には登場しますが、現在では廃寺となって存在しません。江戸時代の東福寺塔頭は49か院で、その一つに数えられておりましたが、現在の塔頭の数は25か院。明治の段階で合併され、廃寺となったと考えられます。その結果、現在では大徳寺が大方源用禅師唯一の塔所ということになりますね。
大徳寺内、開山大方源用禅師の墓所。祖師の墓の中心にあります。
以上で、「大徳寺の開山さま」についての記述はおしまいにします。お読みいただきありがとうございました。
それでは、午後から時間が空いたので、その3を書く。
東福寺において修行をしていた大方源用は、当時五山文学僧としても名をなす雙峰宗源をはじめ、諸文芸僧について漢詩文の研鑽につとめることができたと思われます。大徳寺には『大方和尚法語』というものが遺されているのですが、これは元文4年(1739)に大方源用の法語が一冊に纏められたものです。大方源用350年遠諱に合わせて、バラバラであった資料を集めて作成されました。そこには70余の法語が遺されております。
そして、五山文芸上で特筆されるべきことは、景南英文を法嗣にもったことです。景南英文は、長文の散文を得意とし、将軍足利義教に大切にされ、多くの作品を現代に残す文芸僧です。
しかし、残念ながら景南英文と大徳寺の関わりは何もありません。大徳寺に作品が所蔵されているということもありません。。。誠に残念ながら。。うう。。。
さて、大方源用の塔所は、2か所あります。一つは近江大徳寺、もう一つが京都東福寺塔頭の大仙庵。大徳寺と大仙庵は、大方源用の開創寺でもあります。
この大仙庵は、天明8年(1788)11月の東福寺の末寺帳には登場しますが、現在では廃寺となって存在しません。江戸時代の東福寺塔頭は49か院で、その一つに数えられておりましたが、現在の塔頭の数は25か院。明治の段階で合併され、廃寺となったと考えられます。その結果、現在では大徳寺が大方源用禅師唯一の塔所ということになりますね。
大徳寺内、開山大方源用禅師の墓所。祖師の墓の中心にあります。
以上で、「大徳寺の開山さま」についての記述はおしまいにします。お読みいただきありがとうございました。
大徳寺の開山さま:その2
今日は法事を終えて寺に戻った後、昼寝をしてしまったので夜になってもまったく眠くない。。。今夜は夜更かししてしまいそうな予感が。。。
さて、やる気のあるうちに、昨日のブログの続き、その2を書いておくことにする。
大徳寺の開山、大方源用禅師は応安2年(1369)に66歳で大徳寺を開創した後、京都の普門寺(後に廃寺)に46世として住持します。普門寺は、東福寺の西隣に九条道家が創建した寺で、円爾弁円が開山。京都五山の下の「十刹」に数えられる寺です。普門寺入寺の時期は定かではありませんが、当時、五山・十刹・諸山の住持期間は3年2夏と規定されていたので、恐らく永徳元年(1381)付近からの3年間であったと思われます。そして永徳3年(1383)に東福寺へ入寺し、50世住持となります。
康暦2年(1380)は、東福寺の通天橋が落成した年です。通天橋と言えば秋のもみじの景色で有名ですね。この通天橋の落成を慶讃して、春屋妙葩(当時、かなりの高僧)をはじめ19人が「通天橋頌」を作っており、その中に大方源用も入っています。以下がその偈頌。
行雁斜横松嶺霞 飢虹偃飲水天波
迷流度尽帰常楽 超得非々想定過
『延宝伝灯録』という書物にそのことが記されています。
今日はこのくらいで、続きはまた近々。
さて、やる気のあるうちに、昨日のブログの続き、その2を書いておくことにする。
大徳寺の開山、大方源用禅師は応安2年(1369)に66歳で大徳寺を開創した後、京都の普門寺(後に廃寺)に46世として住持します。普門寺は、東福寺の西隣に九条道家が創建した寺で、円爾弁円が開山。京都五山の下の「十刹」に数えられる寺です。普門寺入寺の時期は定かではありませんが、当時、五山・十刹・諸山の住持期間は3年2夏と規定されていたので、恐らく永徳元年(1381)付近からの3年間であったと思われます。そして永徳3年(1383)に東福寺へ入寺し、50世住持となります。
康暦2年(1380)は、東福寺の通天橋が落成した年です。通天橋と言えば秋のもみじの景色で有名ですね。この通天橋の落成を慶讃して、春屋妙葩(当時、かなりの高僧)をはじめ19人が「通天橋頌」を作っており、その中に大方源用も入っています。以下がその偈頌。
行雁斜横松嶺霞 飢虹偃飲水天波
迷流度尽帰常楽 超得非々想定過
『延宝伝灯録』という書物にそのことが記されています。
今日はこのくらいで、続きはまた近々。
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